漫録

哲学教師の日々の雑感です。

南無阿弥陀仏

昨日の報恩講での講話によると、「南無阿弥陀仏」というのは、それ自体が「仏」なのだそうだが、それは、この「南無阿弥陀仏」という文字が「仏」ということなのか、「南無阿弥陀仏」ということばが「仏」だということなのか。言い換えると、シニフィアンとしての「南無阿弥陀仏」という文字ないし音声イマージュがそのまま「仏」というシニフィエということなのか、あるいは、この記号において実現されるコミュニケーション過程全体が「仏」なのか。後者のような気がするが、今度、お話をなさった先生に確認してみたい。