漫録

哲学教師の日々の雑感です。

密林レビュー

「本書で○○哲学の嚆矢と起源がここに展開されはじめて極めて重要な著書であり」。「本書で」と「ここに」がダブっているのはまあいいとして、「嚆矢」が展開されはじめるというのはおかしい。背伸びしてフィーリングで言葉を使っている。もって他山の石とすべし。

言語行為における戦術

 

国会中継視聴。政治の関与ではなく、お金がないのに学校を作ろうとしたことが問題だ、という与党議員の質問は、証人が言うように的外れ。論点をずらしたいという意図がマルバレで、かえって逆効果。もう少しまともな尋問計画を立てられなかったのか。

社会人コース

今日は、中之島サテライトでスピリチュアルケア社会人講座の修了式。この講座のおかげで自分の「在り方」が変わり、以前できなかったことができるようになり、周りの人との関係も変わったという話を伺い、感心する。

『善の研究』

断捨離のために要らない本を選別しようと、森見登美彦四畳半神話大系』を取り出すと、付箋紙が貼ってある。

〈小津と私の二人で雨の日も風の日も、哲学の道の冷たい石のベンチに腰かけて、西田幾多郎善の研究』を読み耽り、「つまり知覚は一種の衝動的意志であり」云々とわけもわからず議論していたことがある。京都の観光資源たらんとしたのである。…「我々の有機体は元来生命保存のために種々の運動をなすように作られている」というあたり、小津が「生命保存のための運動…」と呟いて卑猥な笑みを浮かべ、むやみと興奮した。おそらくY染色体に由来する破廉恥な想像に眩惑されていたのであろう。日がな一日、哲学の道のような閑静な場所で分かりもしない哲学書を読まされたせいで、小津の暗い衝動は熟れた巨峰のごとくはち切れんばかりになっており、『善の研究』は「技巧的下ネタ大全」と化した。〉

この本は残すことにした。