漫録

哲学教師の日々の雑感です。

2013-01-01から1年間の記事一覧

今年最後の読書は田中美知太郎『西洋古代哲学史』。素晴らしい。藤沢令夫先生のプラトン解釈は田中美知太郎譲りのものだったことが確認できた。これはアテネ文庫復刻本ですが、密林では売っていないようです。では、みなさま、よいお年を。

石原千秋『学生と読む『三四郎』』はとても面白い。大学教員の仕事をまじめにこなすとはどういうことかがよくわかる。我が身を振り返るべし。

年末

大掃除は無理をせず計画的に。その合間にスピノザでラテン語の勉強。

ゆるキャラ

近所のスーパーに行くと、アフロヘアで顔は犬といった人形が方々においてある。岡崎市のゆるキャラ「オカザえもん」なのだそうだ。何でも、全国ゆるキャラコンテストで二位に輝いたとか。ゆるいと言えばゆるいが、かわいくはない。母は「貧乏くさいところが…

目次

著作計画を立ててみる。全10章計画のうち5章はすでに完成、3章はすでに書いたものの改変でOKということで、全く新しく書き下ろすのは2章だけ。予定タイトルは『他在における絶対者――ヘーゲル哲学の根本問題』。

帰省

実家は寒い。

理性

生き延びるためにやらねばならないことがわかっていて、しかも生き延びたいのに、それをやらないというのは不合理だ。理性を重んじて生きようとするなら、目前の少々の困難に尻込みする心を、中期的展望のもとに説得せねばならない。

演劇

DVDで蜷川演出『ヘンリー4世』を鑑賞。ぜひ『ヘンリー5世』もやってほしい。

大掃除

二週間ほど掃除をしていなかったので大掃除。と言っても見える範囲だけ。

解放感

学会発表終了。そこそこ好評でよかった。さあ、この冬はギリシャ語でもやろう!

学会

今日はこれから日本ヘーゲル学会で東京へ。発表原稿をプリントアウトする用紙がなくなったが、出発直前に近所のスーパーで入手。24時間やってるスーパーが近所にあって助かった。

先見の明

予定の1.5倍の量になってしまったが、何とか発表原稿完成。それにしても今週の火曜の非常勤はホニャララにしておいてよかった。

不在の在

お山は雨。久々に一句。輝ける 白銀の景 なかりけり

原稿続行

忘年会はキャンセル。

起稿

締切四日前にしてようやく起稿。

車中

出勤の電車でS先生とご一緒になり、車中でずっとお話ししていたら、極楽橋に近づいたあたりで、隣のおばあさんから「乗ってきてから話しっぱなし!」と叱られた。

原稿

いくら何でも、そろそろ起稿しよう。

数独

数独のようなテキストの解読の合い間に、気分転換に数独パズル。私はそんなに数独が好きなのか。

アカデミー

薗田先生に続いて、小林道夫先生が学士院の会員に。私が今やってるデカルトの授業は、半分は小林先生の受け売り。お祝い申しあげます。

季節

お山は雪化粧。10時30分現在、職員昇降口外の寒暖計温度はちょうど0度。家路についた4時半も0度。

ヘーゲル論理学

ヘーゲルの『論理の学』を読むことは数独パズルを解くことに似ている。最初全然わからなかった文章も、ある部分がわかると、その部分をヒントに他の部分もわかってきて、だんだん全体がわかってくる。たいへんだけど、それなりに楽しいのです。

季節

非常勤のまえに三条歌舞練場横の蕎麦屋に行き、昼食。非常事態宣言下ではあるが、新蕎麦の季節だから、やむなし。

学会

学会発表まで二週間を切った。非常事態を宣言しておく。

カラスとヒト

先日、お昼に外に出ると、交差点の上にカラスの群れが飛び回っている。なにやら尋常ならざる様子。見ると、道の上に一羽のカラスが仰向けになって死んでいた。あのカラスがなぜ死んだのかはわからないが、カラスたちがその死骸のゆえに群れをなしていたのは…

帰属意識

近所で聞いた小学生の会話。「これまっすぐ行ったら、橋本。橋本ゆうたら和歌山」「終わっとるやん」「和歌山行こう思うたら、朝5時に出て」「帰って来れへんかも」元和歌山県民にして今は大阪府民の私は、隣県を侮蔑するこの軽い冗談とヘイトスピーチとの距…

マイナー社HPによると、待望されて久しいヘーゲル全集第二巻がついに来年5月に刊行予定とのこと。これは買わないわけにはいかないが、なんと478ユーロ!

ヘーゲル論理学

車中の1時間を一つの段落に費やす。非常事態につき、全席指定特急で読書環境を整える。

会議×4

午後は会議四連荘。三つの目の会議が予想より長引いたので、四つ目の会議を中止するようにO委員長に申し入れたが、「強行」という返事。ただし、15分だけということだったので、15分で強制終了を宣言する。

食事

試験的に、しばらくパンとうどんを主食から外すことにする。

時間3

山下達郎の「あなたと二人で 生きてゆけたら 何度でも生まれかわれる。 たどり着いた 僕らの場所で ずっと ずっと 一緒さ」という歌。偶然の今が永遠化されるという意味で、九鬼周造的時間感覚はこういうものかもしれない。