2017-08-01から1ヶ月間の記事一覧
もはや私の携帯は迷惑メール削除マシーンと化した。やはり不用かとも思ったが、教師の端くれとして現代生活から離れすぎるのは問題であり、また、私が携帯電話をほとんど使わないのは、その機能が少なすぎるためかもしれないと考え、スマートフォンに乗り変…
午前中の涼しいうちに昨年の学会での特定質問原稿に手を加えて、メールで送付。こういうことは後回しにしないほうが結局楽。
月末締切の原稿を一つ思い出す。思い出してよかった。
電車に乗って隣町の古本屋に行き、トートバック一袋の本を処分。代わりにというわけではないが古本を一冊購入。
24時間テレビで阿久悠さんの伝記ドラマを視聴。24時間テレビのテーマとのつながりは不明。 ちなみに阿久悠さんは木曽先生の高校の同級生で、それが雑誌で紹介された時、薗田先生が、「木曽さんは阿久悠の悪友やったんやねえ」とおっしゃっていたことを思い出…
振り返ってみると、胃酸の逆流は夕食を食べすぎたときに起こっているように思われる。腹八分の食事原則をもっと厳格に意識すべし。
一時帰阪。途中難波の本屋で面白そうな新刊文庫を数冊購入。都会には誘惑多し。
漱石『坊っちゃん』より。 「あとで聞いてみたら、瀬戸で出来る焼物だから、瀬戸と云うのだそうだ。おれは江戸っ子だから、陶器の事を瀬戸物というのかと思っていた」。 岡崎っ子の私もそうだった。ただ、考えてみると愛知県には常滑焼というのもあり、我が…
就寝時に胃酸の逆流することあり。睡眠導入アルコールの習慣を見直すべきか。
ボーズのCDプレイヤー、CDによっては演奏終了時に雑音が出る。考えてみれば、実家には使っていないスピーカーがあったので、CDプレイヤーだけ買ったほうが安く済んだし良かったかもしれない。いつもながら買い物において愚なり。
自室、午前11時から午前3時までクーラー稼働。
ボーズのCDプレーヤー、音が違うのかはやはりわからないが、体に伝わる振動が違う気がする。ともかく、届いてからBGMを流しっぱなし。
久しぶりに使ってみたバランスチェアが快適。バランスチェアそのものは昔買って実家においてあったもので変化はないので、スロージョギングで筋力がついてきて姿勢保持が楽になってきたのかも。
日本語ヘーゲル文献表2016のドイツ語訳、担当分終了。
昨年末に購入したCDプレイヤー、ボーズとの音の違いは感じなかったが、聴いていてなぜか感動が乏しい。音楽はBGMにする程度だが、大事なものなので、ボーズの上級機種に買い替える(割引セール利用)。
密林で母の化粧品を代理で購入。その値段に驚愕。
マイナー社哲学叢書のヘーゲル『法哲学』の新版が出版。2013年にも大全集に依拠した新版が出ていたが、今回「初めて」大全集と同じテキストを提供すると序文にあるので、2013年版には何か問題があったのかも。それはともかく、私にとってなによりうれしいの…
岡崎市に残った唯一のまともな古本屋を応援すべく、品切れ本など5冊購入。とは言っても、全部で二千円。
近所のお寺のお盆の法要。ご住職がお東の焼香作法の説明してくださったが、即座に忘れる。それはともかくこのお寺、実家から歩いて三分、便利です。
今日は我が家で高校同級生の駄弁り会。高校卒業後ほぼ途絶えることなく盆と正月に集まっている。考えてみると、なかなかすごい。
ヘーゲルの『宗教哲学講義』は、ヘーゲル哲学の本音が吐露されていて、内容はとても面白い。ただ、ヘーゲルの手稿部分は動詞の省略なども多く、それを読むのは読解というよりむしろ解読。英訳者の努力を称える。
実家に隣接する弟一家の家の建て替え工事完了。
銀行が、50年前に完済した借金に関して実家の土地に設定された抵当権が登記上なお抹消されていないと言ってきたので、その仕組みについて勉強する。
清水幾太郎は『本はどう読むか』では、大学ノートに主観主義的読書メモを取っていると書いているが、岩波新書『私の読書法』所収のエッセイでは本そのものをノートがわりにしていると書いている。自分の経験から考えて、彼が実際にやっていたのは後者だった…
台風接近中。日よけシェードをどうすべきか? 決定;風の影響の少ない中庭に設置したものはそのまま、外窓のシェードは取り外し。
汗だくになって中庭の草取り。こういうことをやる気になれるのは、サプリでビタミンCを補っているおかげか。
汗だくになって自宅の自室の窓に日よけシェードを取りつけ。作業の後、シャワーを浴びて着替えれば、爽快。
帰省。夕食は三河の鰻。これを食べると難波の高○屋に出店している鰻屋など、バカらしくて行く気にならない。
前期の授業的業務、終了。お山よ、しばしさらば!
国会議員の釈明会見から。「ご支援していただいた方々への信頼を裏切ってしまったことを…」。これくらいの言い間違いは大目に見るべきかもしれないが、これを言い間違いだと感じない人がいるかもしれないことが恐い。