漫録

哲学教師の日々の雑感です。

写真映り

フルトヴェングラーの演奏の特徴の一つは、アゴーギク、つまりテンポの微小な伸び縮みの独特な頻出にあった。そういうことが、実演できいていると、ほかの論理、たとえばそれに伴うダイナミックス(音の強弱)の加減その他と一緒になって、音楽の表情全体の中での動きとして耳に入ってくるので、実際には、そんなに、これだけが切り離されてきこえないのだが、レコードできくと--理論的には、ここでも同じであってもよさそうなのに--テンポのゆれ、相当にはなはだしい伸び縮みとして--むしろ、誇張された扱いといっても良いほど--目立って現れてくる。見なれた知人の顔が、写真でみると、いやに髪の毛が薄く見えたり、口のよこの皺の深さが気になったり、顎の線が尖ってみえたりするようなものである。…そういうものは《実物》でも確かに存在しているのだが、現実の生活の場では、その顔の瞬間瞬間の表情や動きその他と混じりあってそんなに目立たない。それが写真となるとちがってみえてくるのである。」(吉田秀和フルトヴェングラー』)

なるほど!