漫録

哲学教師の日々の雑感です。

会議で登山。

あみんの「待つわ」の歌詞を解釈する。

「かわいいふりしてあの子、わりとやるもんだねと、言われ続けたあのころ、生きるのがつらかった」
主人公はかわいこぶりっ子と呼ばれることを不当なものとし、疎外感を感じている。しかし、この疎外感はある種の自己肯定の基礎でもある。
「悲しいくらいに私いつもあなたのまえでは、おどけて見せる道化者、涙なんていらない」とあることからすると、男女関係においては、彼女は恋愛対象的存在ではなく、道化的存在であるらしい。しかしそうした役どころをホントの自分ではないとして、「一人ぼっちのときには、そっと涙を流す」という。こうして、「誰もわたしの心、見ぬくことはできない」と、誰にも理解されないホントの自分を仕立てあげるわけだが、誰にも理解されないというこの疎外感は、誰にも理解されないくらい特別な私という自己陶酔と表裏一体である。かわいこぶりっ子だと言われたくらいで「生きるのがつらかった」といういかにも大げさな表現にも、悲劇のヒロインとしての自分に陶酔している様子が現れている。
彼女は、自分を理解しない社会を見下すように、自然界に目を向ける。「青く広いこの空、誰のものでもないわ」。ここに力を得、彼女は「私待つわ、いつまでも待つわ」と宣言するが、ここにも自分の一途さへの陶酔が垣間見える。しかも彼女は「あなた」を振り向かせる努力するわけではなく、待つのは「他の誰かにあなたがフラれる日」である。誰かに振り向いてもらえなくなった彼は、誰にも振り向いてもらえない「私」と共感するはずなのである。

スクールガールによくある自意識過剰だと言える。