漫録

哲学教師の日々の雑感です。

主体性についてのメモ2

西欧では個人が基本であり、個人の意思に基づいて社会が構成される。社会契約説はその思想的表現である。それに対し、日本の「世間」は、個人の意思ではどうすることもできない所与であり、個人はなんとなくその中に位置を持つものとして生きている。(阿部謹也『世間とは何か』より要約)

そうした「世間」的なものを認めつつ、しかし、個の主体性をどう考えることができるのか、というのが昨日の問題意識。